創業者・田中明は1917年(大正6年)に愛知県北西部の木曽川町(現在の一宮市)に生まれ、従軍、1945年(昭和20年)、中国大陸の地で終戦を迎えた。
 戦後間もなく復員、空襲で焼け野原だった名古屋市の中心部(現在の名古屋市東区葵)の地に、英文タイピスト養成学校「田中文化クラブ」を1946年(昭和21年)11月に創業。田中明、29歳の時だった。

晩年の創業者  田中 明

田中文化クラブ前にて 田中文化クラブ創立1周年

1950~ 占領~独立直後の黎明期

田中タイプライター株式会社が東新町の地に設立されたのは1950年(昭和25年)。以降、中古英文タイプライターの輸入販売と保守サービスを生業として本格的に事業活動を行なうこととなる。

とはいえ、会社設立当時の日本は、米軍を主体とするGHQ(連合軍)の占領下。海外メーカーとの直取引を開始するには、サンフランシスコ講和条約締結後、日本政府から毎年1万米ドルの外貨資金の割り当てを獲得する1951年(昭和26年)まで待たねばならなかった。

「客の信用が最も大事。そのためには、売ることは勿論だが、その後のサービスが大切だ」という社是はこの時から不変である。

1959~ 高度経済成長と共に

事務機の総合商社へと変貌することを周知するため、田中タイプライター㈱より、田中ビジネス・マシンズ㈱に社名を変更したのは1959年(昭和34年)。 当時の日本は「もはや戦後ではない」と経済白書(1956年)に謳われ、毎年10%を超える高度経済成長期の真っ只中にあった。田中ビジネスも本社ビル(東新町)を新築、北陸に拠点を相次いで開設するなど、順調に社業を拡大した。

1966~ 輸入事務機から国産事務機へ

昭和40年代に入り、新興の国産事務機メーカーが台頭、海外製事務機と競合する時代を迎えていた。海外輸入事務機をメインとした既存ビジネスは順調だったが、国産事務機へとシフトすることを会社は決断。その英断は、「田中ビジネス」が国産事務機の中部地区の有力代理店として磐石の地位を築く橋頭堡となった。

昭和40年代の東新町交差点付近の街並み
提供:名古屋市交通局

1973~ 工作機械のNC制御分野に進出

1973年(昭和47年)、中古のタイプライターを再生(リビルド)し、工作機械を制御するNCデータを紙テープとして出力する「NCタイパー」の自社開発に成功、全国で販売を開始した。これがFA業界でメーカー「田中ビジネス」が産声を上げた瞬間である。本事業分野はこれ以降、会社を支える事業として大きな成長を遂げることとなる。

1990~ 昭和から平成へ新生タクテックス

1988年(昭和63年)、父である創業者、田中明からバトンを 継いだ田中修新社長は、コーポレート・アイデンティティ( CI )変革に着手。1990年(平成2年)には完成した新社屋(中村区十王町)に本社を移転集約、社名をタクテックス㈱へと変更した。それは創業から45周年を迎えた佳節の年の出来事であった。

LiveFactory岐阜テクニカルセンター設立

2007年(平成19年)、実践型ショールームとして、最新の多軸複合加工機・工具を常設展示する岐阜テクニカルセンターを岐阜市内に開設。工作機械の性能を最大限に引き出すための高付加価値・高効率加工を提案するセミナーを定期的に開催。実際の加工の様子をネットワークカメラを用いて全国に発信している。

2008年(平成20年)には、お客様の課題解決が体感できるオフィス環境をコンセプトの一つとして本社事務所をリニューアル。 翌2009年(平成21年)「日経ニューオフィス賞中部オフィス審査員賞2009」を受賞。お客様のために、信用とサービスに徹するタクテックスの姿勢は、いつの時代も変わらない。

変わること、変わらないこと

コンピュータによる自動化や、インターネットを通じた様々なサービスがどれだけ広がっても、私たちが大切にしたいこと。

信用とサービス。

技術や商品は時代と共に変わっても、お客様から選ばれ、頼りにされるタクテックスでありたい。

そんな未来を創る為に、これからも誠実にお客様と向き合ってまいります。